Profile
上海糖果號 店主
王華(Hua WANG)
上海に2年半、北京に3年住んでました。
とりあえず今はフリーの編集者兼ライターです。
でも、思い出したように通訳もやってますし、コーディネーターもやります。
あ、2年ほど前はテレビもやってました。
って、これじゃプロフィールになっとらんがな。
まあ、ここは上海ネタ中心のサイトですし、私がどのように
上海に関わってきたか、その隅っこを紹介するということで
ごカンベンくださいまし。
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| 最初に中国に行ったのは1987年の9月。上海留学でした。当時、中国語を習う人、中国に関わる人はそれなりの思い入れがあることが多かったんですが、私の場合残念ながら、何ら思い入れはありませんでした。 留学のきっかけは、中国語の教科書に載ってた「飴を1斤(500g)ください」のスキットでした。 中国ではどうも飴が量り売りされているらしいから観てみたいと思ったわけです。飴がどうやって売られてるかを観るがために留学してしまうのが私なのです。計画性なんかあったもんじゃありません。 というわけで、何の予備知識もなく上海に留学することになったのですが、これにしても田舎町じゃなければいいや位の認識でしたから、上海という土地についてなんかちっとも予習しとりません。当然、「上海はかつて東洋一の港湾都市で、“魔都”とか“東洋のパリ”とか呼ばれ、銀座など片田舎というほどの栄華を誇った街である」なーんてことは、これっぽっちも知りやしませんでした。 ところが上海という街は、共産中国40年周年を迎えようという当時でも、生活のニオイには、明らかに往時の残り香がぷんぷんで、元々古いモノが大好きな私は、たちまちズッポシハマってしまったわけです。最も惹かれたのは、往時の風俗文化が凍結保存され、そのまま語り継がれていたことでした。 一番わかりやすかったのは食文化でした。街のそこここにベーカリーがあり、バターたっぷりのクロワッサンやパルミエ(ハート型のパイ)や“クリームパフ”(決してシュークリームと呼ばないところがミソ)が売られてます。間口一間ほどの店の奥から、小麦粉が焼ける香ばしい香りがただよって来て、そんな店が街の風景として溶け込んでいるのです。また、租界時代からの洋食屋がそのまま残っており、味付けはいささか中華めいているものの、ボルシチやハンガリアン・グーラッシュ、ウォルドルフ・サラダなど、戦前まんまの旧態然としたメニューで営業し、小金持ちの上海人とリーチがかかったカップルで賑わっています。 一般家庭で夕食をご馳走になれば、ボロニア・ソーセージが入ったポテトサラダが前菜として出てきます。マヨネーズは市販されてませんから自家製です。レストランのデザートで流行っていたのはベイクド・アラスカ*で、学食の皿は、ふち飾りがアール・デコ。上海大廈でフレンチ・トーストを頼んだら、濃い砂糖水にどっぷり漬った食パンの油焼きが出てきたのにはさすがに閉口しましたが。 結局、共産中国になってからの長い間の“鎖国”で、諸外国からの新知識を吸収することもできず、文化がそのまま凍結保存されていたんですね。上海人にしてみれば、先進諸国に比べて遅れてるとしか思ってなかったでしょうが、私にしてみれば、「取っといてくれてありがとう」状態でした。 街に一歩出ると、20世紀初頭に流行した全ての建築様式が揃っているのではと思わせるほどで、南京路から四川路を南に下ったところで建物を見上げれば、ここが上海だということを忘れてしまいます。でも、地べたを歩いているのはもれなく人民服を着た上海人で、アール・ヌーボーの美しいフランス窓の把手には干したみかんの皮がぶら下がり、広大な庭を持った大邸宅には何家族もが住みつき、階段の踊り場は共同炊事場と化しています。一方、昔から上海に住んでいる家庭では、マホガニーで造られた、アールデコの意匠を施したアンティーク家具を使い、かつてドイツ人が住んでいた30年代のアパートに住む家庭では、造り付けのオーブンでアヒルの丸焼きを焼き、客人に振るまうという、上海ならではの生活が営まれていたのでした。80年代後半は、そういった栄華の跡と現実の同居を目の当たりにできた最後の時期だったのかもしれません。 日々変わっていく上海を見るにつけ、往時のものを少しでも手元に残したくて、街中の質屋とアンティークショップを歩き回り、気付いたら大量の中国服とポスターに囲まれ、めぼしい家具全てが上海アンティークの生活になってしまいました。飴だけで帰るはずがエライ騒ぎです。 それからはや14年。上海の街並みも再開発でかなり変わりました。タクシーは手を挙げればつかまるし、ADSLすら導入され、電話すら満足につながらなかった時代がウソのようです。街角にあった小さなベーカリーは、台湾資本のケーキ屋に駆逐されました。凍結保存された文化は、新しい風に吹かれて歴史の向こうのものになり、懐古趣味ブームに乗って商業化され、ソフィスティケートされて戻ってきました。一斤の飴からはじまった中国が、気付いたら随分遠くまで来てしまった気分です。 面白がれるものがある限り、中国に、上海に関わり続けることと思いますが、どんどん“まとも”になっていく姿を見るにつれ、いつまで面白がれるのか、ちょっと心配になる今日このごろでもあります。 ベイクド・アラスカ*=アイスクリームを大きなかまぼこ型に成形し、周りにメレンゲを塗って表面に焼き色をつけ、テーブルでブランデーやコニャックをかけて火を付けるという小洒落た演出がウリのオールドファッションなデザート。欧米及び日本ではとっくに絶滅したと思われる。当時の上海ではマオタイ酒をかけてるレストランもあった。蛇足ながら、和平飯店オリジナルカクテル“パンダ”は、エッグノッグのマオタイベース。 |
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