1.広告画の歴史

 中国では、正月(中国は旧暦です)に“年画”と呼ばれる吉兆柄の絵や版画を家に貼る習慣があります。今では普通の印刷物もよく見かけますが、もともとは石版多色刷りが主流でした。天津市郊外の楊柳鎮年画などが有名ですが、古いものになると原版が明代をさかのぼるものもあったりして、たかが大量生産の印刷物とあなどれません。
 ここに紹介するポスターは20世紀初頭、年画を元にできたものです。1842年のアヘン戦争敗戦以降、上海が外国の租借地になってからどっと参入してきた外商(外国商人)が、年画の風習を見て、絵入りのカレンダーを“お年賀”にし、顧客に配ることを考えたのでした。図柄は西洋らしくリンカーンの肖像や、自国の風景画。しかし、中国人になじみのない絵だったため、あまり受けは良くなかったようです。

 しかし辛亥革命(1911年)後、西洋文化が民間の中国人のなかに入り込むに従って、女性の服装にも大きな変化が現れ、日本で言うところの“モダンガール”が登場し、最先端のファッションを身に付けた彼女たちをモデルにしたカレンダーが描かれはじめました。時代の気分とマッチした図柄は、またたく間に中国人社会に受け入れられ、中国の企業も、さまざまなデザインのものを製作しはじめました。そうこうするうちに、カレンダーは次第に二次的になってポスターに変化し、さらには商標と企業名、製品のイラストすら隅に追いやられるほど、美女の絵がメインの「作品」に変化していったのです。

 ポスターを一番盛んにつくったのはタバコ業界で、古い広告画を中国語で“月[イ分]牌”と言いますが、“煙標”という別名があるほど多く、現在市場で見かけるものの5割以上を占めています。次いで多いのは化粧品。現在市場で最も評価が高い、花露水で有名な「廣生行」(香港に現存する化粧品会社)が代表格でしょう。

2.広告専門画家の誕生

 流行に伴い、専門の画家も誕生し、鄭曼陀、關惠農、周慕橋、杭穉英、謝之光、金梅生、周柏生、趙藕生など、多くの画家が画室を立ち上げ、弟子を抱えて製作にあたりました。中でも、現在最も高値で取り引きされているのは、關惠農の作品です。多色づかいが特徴で、寡作なのがプレミアムにつながっているのでしょう。廣生行のポスターが代表作です。
広告専門画家の画風は、国画(中国画)と西洋画を巧みにミックスした独特の味わいがあります。しかしいわゆる通俗画の部類で、しかも印刷物ですから、画壇からは格下と見られていたようです。当時の日本では、ポスターや挿し絵を高名な画家が手がけることがままありましたが、中国ではハッキリと線引きがされていたのです。

作品には、一点ものとベースのモデルだけを描く使い回しの2種類がありました。現在骨董市場で、白地に広告が入っていないポスターを見かけることがありますが、これは原画を印刷し、年画を飾る時期に、年画やカレンダーと共に露店で売られたものと思われます。

3.買い付けは山東省から

 骨董商のほとんどは山東省の農村から買い付けています。なぜ山東省かというと、どうやら一番モノが残っているからのようです。山東人は質素と言われますが、半世紀以上、正月のたびに年画がわりのポスターを取りだしては使いを繰り返していたと思うと、物持ちの良さに感謝です。コレクターとしては(笑)。
 酸性紙を使っているにも関わらず、保存状態が思いの外いいのは、山東の乾燥した気候も関係しているようです。上海のように湿度の高いところでは、まず考えられません。

4.日本企業の広告画

 さて、私がメインに蒐集している日本企業のポスターですが、中国企業のそれに比べ、デザインはシンプルです。中国企業が絵の美しさで差別化をはかろうとしたのに対し、日本企業はあくまで宣伝媒体としてポスターを捉えていたのでしょう。着物美人がモデルのものも多く、日本で使った図柄に中国語を乗せただけだろうと思わせるものも結構あります。

 審美的には確かに中国モノが魅力なのですが、耳慣れた企業なのにモデルが中国美人というのが面白く、見境もなく買いあさった結果、100枚をゆうに超えてしまいました。場所は取るし傷みが心配だし、保存だけで結構大変です……。

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