|
|
|
| 1月8日 街歩きは場末に限る |
ホテルをチェックアウトし、2003年1月に泊まったプチホテルへ移動する日。もうこの近辺に足を踏み入れることもないだろうから、午前中は地下鉄を使って元上海北站(駅)周辺にまで足を延ばしてみようと思う。
「足を延ばして」なんていっても、たったの1駅。地下鉄構内に入って3号線の切符を買ったつもりが、3号線はずっと向こうで、しかも切符が共通でないことが判明。2元が2枚、合計4元がムダになる。
宝山路駅に着き、昨日気になっていた東側に降りると、私が留学してた頃の上海の街並みが眼前に拡がる。2〜3階建ての低層住宅兼商店が連なる家並が懐かしい(*1)。駅前の雑貨店も、田舎の百貨商店みたいな品ぞろえである。新天地のような、流行と資本を詰め込むだけ詰め込んだ、人工的な街並みとは真逆の世界が、ここにある。
駅からちょっと進むと、冬の北京の風物誌(といっても実は天津が本場)の糖胡蘆(くし刺しサンザシの飴がけ)の店を見つけた。
元々は糖胡蘆なんて店で上品に売られるもんじゃなく、北京では秋になると、ワラ筒に棒切れを通した担ぎ棒にたくさん糖胡蘆をぶっさした売り子が、街を練り歩いている。それが寒風の到来を報せる、季節のお便りみたいなもんだったが、「ホコリまみれで不潔」と衛生面を気にする人が増えたせいで、こういう風に店売りができたのだと思う。
サンザシは見た目小さな姫リンゴみたいだけど、すごく酸っぱい。それが飴の甘味でちょうどいい甘酸っぱさに中和され、サンザシ独特のねっとり感と、飴のぱりぱりした食感が絶妙に絡みあって、一度食べたら忘れられない美味しさである。
この店は多分チェーン店なんだろう。最近の糖胡蘆はずいぶんとバラエティーに富んでるようで、サンザシ以外にもナツメやらミカンやら、はてはいちごやキウイまで、ずいぶん華やかである。サンザシも種類豊富で、タネを取ったところに色とりどりのあんこやクルミを詰めたものが大半で(*2)、オーソドックスなサンザシだけのは隅っこに追いやられていた。
が、ここは糖胡蘆初心者のじょーちゃんのために、サンザシだけのにするべきだろう。値段は一番安い3元だった。
糖胡蘆をパリパリと食べながら、街をぶらぶら歩く。予想通りじょーちゃんは糖胡蘆がいたくお気に召したようで、油断していたら独り占めされること必至だ。1つの串を奪いあいながら街を観察すると、やはりこのへんにも再開発の嵐は及んでおり、そこの里弄(横丁)、あそこの住宅といった具合に、くしの歯の抜けたように取り壊されているが、目の前の住宅が取り壊されて、まもなく自分の住む家も……という人々が、何ごともなかったように生活している(*3 拡大写真あり)。
上海北站は、駅舎のみが残されて長距離バスの停留所になっていた(*4)。歴史の舞台になったこともある場所だから、残されて当然ではあるが、ピンクに塗るのはいかがなものか。でも機会を見て、ここからどこか、田舎町に行ってみるのも悪くないなと思ったりする。
チェックアウトの12時まで時間がなくなったので、タクシーでホテルに戻り、慌ただしく荷物をまとめてチェックアウト。蘇州河を渡りそのまま南下したあたりにある投宿先まではそんなに遠くない。
今回はちょっと奮発して、280元の部屋である(*5)。ツインのベッドと、元はサンルームだったような小部屋には応接セットとライティングデスクがあり、隅に無理やりトイレとシャワールームが取り付けられている。
休む間もなく、いつもの投宿先のYさん宅に向け出発。今回の旅の最大の目的、「自転車」を借りるためだ。
前回の上海行きでは、移動手段は自転車が一番だということを痛感した。日本と違って、中国では自転車がメインの交通手段という人はまだまだ多く、そのぶん、公道における自転車の地位は日本よりも高い。
だから、上海ではほとんどの道に自転車専用レーンが設けられているし、右左折が車と一緒なのに最初はとまどうものの、慣れれば問題そのほうが楽だし、南京路や淮海路のような自転車進入禁止道路では、歩道を走ればいい。何より上海は土地が平坦でアップダウンがないから、まさに自転車にうってつけなのだ。盗難にさえ気をつけていれば、私のようにあっちの横丁、こっちの路地と道草を食う上に買物をしまくる人間にとっては、最高の交通手段。じょーちゃんにとっても、異国での自転車体験はなかなか楽しいものになろう。と、最後のは親の勝手に付き合わせるためのへ理屈である。
が、時々自転車に乗る白人は見かけるものの、日本人らしき人に出会ったことが全くない。これは日本人の生活テリトリーが私の行動範囲と違うせいもあるだろうが、「自転車で行動してます」というと、必ず驚かれるのはなぜだろう。こんなにらくちんで、自由度が高くて、爽快なものなのに。地理がわからなければ、地図を見ればいい。私だって今の上海はわけがわからん&極度の方向音痴ゆえ、地図は必需品だ。
ところで中国では、自転車に乗った子供を全くと言っていいほど見かけない。18歳以下の子供は公道で自転車に乗ってはいけないとか、明確な法律はないが、子供が自転車に乗ると罰金だとか、色々聞いたが、とにかく、子供が自転車に乗ってはいけないような決まりがあると人は言う。
でもこっちは外人。警官に何か言われたら「外人だから」の一点張りで済ませようと腹を決め、Y家のお手伝いさんが普段使っているものと、9歳になる娘用に買ったものの2台を借りることにしたのである。
Yさんとはあらかじめ、昼食を一緒に食べようという約束になっていた。彼女の家の近くに「京翅坊」というフカヒレ料理の店があり、そこのランチがなかなか良いという。久しぶりの姿煮に心が踊ったが、期待に反して肝心のフカヒレがあまり大きくなく(140元のランチだからぜいたく言ったらいかんのだが)、ちょっとがっかり。Yさんによると、以前に比べて明らかに小さくなったとのこと。雰囲気は高級感溢れているし、値段もバカ高いというわけじゃないから、ちょっと人にご馳走したい時などには最適だと思うので、是非以前の大きさを復活させてもらいたいもんである。
ランチの後、Y邸で子供たちを遊ばせつつ一休みし、暗くならないうちにホテルに帰ることにする。自転車大好きのじょーちゃんだが、上海では初めてなのと、車と並走するために少々緊張気味だ。奴のペースに合わせてゆっくり走り、普段20分ほどの距離を30分ほどかけてホテルに着いた。途中交通整理の警官にも出くわしたが、全くのおとがめなし。結局最終日まで、誰にも注意されなかったところを見ると、子供が乗ってないのは単に「事故にでも遭ったら大変」という理由だけなのかもしれない。
脇の小路に自転車を停め、ホテルに戻って荷解きをし、インターネットの接続に手間取っていたら、すでに日が暮れていた。昨日歩きすぎたせいか、2人共外に出る気力が失せている。「旅行だからってムリに歩き回る必要もないよねー」なんて言いながらゴロゴロしていると、もう夕食の時間である。外は寒いし、もはや外出する気は毛頭なく、フロントで「何か食べさせて」とお願いする。
このホテルは朝食が付くが、きちんとした食事をつくる専門のコックはいない。ただ定食として家庭料理をつくるくらいのことはできる。この日出てきたメニューは、骨付き豚ロースの紅焼(甘辛煮)、青菜の炒め物、それに白菜とスペアリブのスープにご飯。白菜の甘味が溶け込んだスープがなかなかの美味で、10元はあまりに安い。昼間のフカヒレランチの値段で、この定食が14回も食べられるのだ。
部屋に戻り、じょーちゃんは最近のお気に入り、k.m.p.の「ポルトガル朝・昼・晩」を読み、私はテレビを観ながら夕刊を熟読する。部屋は暖かいけど、シャワーだけでは何となく芯まで温まらない。これはバスタブ付きの部屋に交換かなあ。
|
|
|
 |
|
|
*1 17年前の留学当時は家並が平坦なせいか、上海の道幅ってすごく広く感じたんだけど、ここではしばらくぶりにその感覚に襲われた。
|
|
 |
|
|
*2 北京では結構人気の「ふかした山芋」はなかった。あれも結構おいしいんだけどなあ。キウイやイチゴなど、高い果物を使ったやつは当然ながら高い。串の長さは約40cmと長いので、食べきれるか不安になるが心配無用、あっさりと食べきれる。
|
|
 |
|
|
*3 上海では立ち退き話が出るたびに、自殺やショックによる死亡者が出ると言われる。隣家まで壊されても、ぎりぎりまで引っ越さない執念の理由は何なのか。立ち退き料の値上げという人もいるが、長年住み慣れた土地を離れたくないというのがおおむねの意見のようだ。その証拠に、居残るのは老人が大多数。引っ越し先は「この前まで田んぼでした」という、インフラ整備もまともでないところがほとんどだから、わからん話ではない……。
|
|
 |
|
|
*4 上海北站の付近は、かつては上海語で言うところの「下只角」、いわゆる「貧民窟」だった。再開発がこれだけ遅れたのも、そのなごりだろう。当時「棚戸」と呼ばれたあばら屋は、上海駅近くの「蕃瓜弄」内にある資料館に復元、保存されている(03年夏時点では閉館中)。
|
|
|
 |
|
|
|
*5 手前の部屋の広さは20畳くらい。奥の部屋の左手にトイレ&シャワールームがある。
|
|
|
|
←もどる |
|
つづき→ |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|