CARO DIARIO
日記 2009年10月
奇跡のキューバ映画ポスター即売会!/貧乏映画の祭じゃないからね/俳句新世代の登場/サドのための携帯電話/ドゥボールはトップレスがお好き/リトグラフとオフセット/永遠の科学映画に触れる/映画とは夏の終わりのこと/ツール2010コース発表!/二つの銀残し/尾形亀之助→ルネ・クレール?/大岡昇平の字幕翻訳原稿発見/赤い風船つーるつる/などなど
2009/10/31
シネフィル・イマジカで『赤い風船』のデジタル・ニューマスター版が放映されているのを観る。まあ当然きれいなわけでそれはいいことだが、風船だけがきれいを通り越してツルツルのツヤツヤで、何だか変だ。映画は1956年、風船だけ2009年という感じである。
国際交流基金の所蔵する映画フィルムについての朝日新聞の記事、これは論点がおかしい。価値のある映画を集めているのだから、より積極的な活用を図るため、大使館以外にも活用先を拡げましょう、というのが筋であって、万人向けでないジャンルの映画を扱っているからどうの、という論旨の据え方は映画そのものへの蔑視に聞こえてならない。加藤泰の貴重なコレクションを簡単に「やくざ映画」と呼ばないでほしい。
2009/10/30
昨日からのカタログ仕事をぐいぐいと追い込む。デザイナーさんと印刷業者さんと打ち合わせをしてから、ポスターと一緒に展示するプレスシートも選ぶ。戦後のフランスはプレスシートもおしゃれなのです。午後、脚本家水木洋子の生涯資料を保存・運用されている市川市の文学プラザ&映像文化センターの方々のご訪問を受ける。ノンフィルム資料のカタロギングの難しさについてやたらと話が弾んでしまう。夜、新外映という配給会社を論じた原稿(たぶん日本初)をようやく入稿。充実したけど、なんだか今日はどどーっと疲れた。
2009/10/29
大岡昇平の字幕原稿の記事、正直なところこんなに反応が良いとは思わずびっくり。今日は編集者の日。終日、さまざまな方角からいただいた原稿と格闘。夜、神保町に用事があり、その前にインスクリプトNくんと雑談。オートクローム・リュミエールについて語り合う。じゃ「アルベール・カーン友の会」でも結成しますか。
2009/10/28
たぶん明日のいくつかの朝刊に出るはずです。すでにウェブ上のニュースでも出ているようですが。ノンフィルムの力!
2009/10/28 [臨時のお知らせ]
今年から、年末に「オカダが孤独に勝手に選ぶ今年の映画関連図書ベストテン」を発表することにした。来年もあるかどうかは分からないが。
2009/10/27
田中絹代が映画界入りする前、13歳まで在籍していた、大阪の琵琶少女歌劇の団長のご子息(94歳)が京都よりご来訪、展覧会をご覧になる。何しろ最初の“絹代御殿”(1936年竣工)にも行かれたことのある方で、新京(!)のヤマトホテルに絹代たち俳優慰問団が来たことも記憶なさっていた。
夕方、フランス映画ポスター展を担当しているデザイナーさんの事務所で打ち合わせ。だんだんいい感じになってきた。僕はこの展覧会を、「ちょっとかっこいいフランス映画のポスター」を雑然と並べるだけにはしたくない。むしろ「ノンフィルム」というジャンルをより深く楽しんでもらうための試みのつもりである。映画と映画の外側を結びつける自由な回路をもっともっと構築しなければいけないと思う。
2009/10/26
先日の岩波映画シンポジウムで知り合った福音館書店の方から「母の友」が送られてくる。名前の通り、育児中のお母さま向け雑誌なのだが、いきなりジャ・ジャンクー監督インタビューが! かっこいいなあ。朝海陽子という写真家の作品も面白い。人の自宅にお邪魔して、そこの人が大好きな映画をDVDで観ているところを撮る。ソファに転がって『エデンの東』を観ているドイツ人のおじさんも、赤ん坊をそばで寝かせて『酔拳2』を観ているニホンのお母さんも、みんなみんな無防備だ。この人たちはスクリーン鑑賞を選ばないが、でもやっぱり映画の好きな人たちである。家庭へと分散した新たな映画観客論への入口になるかも知れない。
こんな雨でも大して学生は減らない。ありがたいことだ。出席票に書かせる時間のみ残して、びっしりしゃべり尽くす。その後松竹試写室で、台湾映画界空前のヒット作『海角七号 君想う、国境の南』(魏徳聖=ウェイ・ダーション)。うーん、結構期待したんだけどな、これ。『カップルズ』の助監督だったとか、侯孝賢に褒められたとか聞いていたので…。「終戦後日本に帰国した男が台湾に留まった女性に出せなかったラブレターが60年後に届く」という設定も、実はストーリーの中心線ではない。本筋は地方都市での即席バンドの結成物語で、むしろエドワード・ヤンとは正反対の泥くささで迫る。画面作りにつまらぬ野心がないのはいいが、さすがに凡庸という語が思い出されたりも。新世代台湾映画対決はとりあえず『九月に降る風』に軍配。
「尾形亀之助詩集」再読。煮詰まったらいつでもここに戻ればいい。「滑稽無声映画「形のない国」の梗概」という作品がある(1930年の詩集「障子のある家」所収)。国土の果てを誰も見たことがないので、国土が円形だと主張する派と三角形だと言う派が対立するが、測量に行った人間はみんな行ったきり帰ってこない。てなサワリだけでも、自身に降りかかった着想の自由記述だと思わせるが、途中でピリッと天皇制批判になっていたり、つかみ所がない。これを映画化できるのはルネ・クレールだけではないかと考えた。
2009/10/25
10時起床。仕事関連の翻訳原稿を読みつつ直す。部屋の整頓。新しい自転車で近所へ買い物。夕方新宿へ行き、やっと『空気人形』(是枝裕和)。ぺ・ドゥナの身体をここまで撮り尽くしてくれてありがとうございます、の一言。こうなると、何を表現したかったのかはもういいです。主人公の周囲に「孤独な都会人」がいろいろ出てくるが、そこが是枝監督の相変わらず弱いところだなあと、ぺ・ドゥナの存在感との対照で逆に気づかされたり。それでも、監督の映画ファンとしての素直さはとても微笑ましく、あのレンタルビデオ屋も種田陽平の仕事なのかと思うとちょっと感動する。この映画、劇場版は116分だがカンヌ映画祭版は125分だったと書いてある。125分はさすがに長いと思うが、それでも切られた9分が気になる。どんなシーンだったのだろう?
2009/10/24
市川崑とベルトルッチとイーストウッドの共通点とは何か? 1990年代までに、現像処理に「銀残し」を採用した作品を少なくとも2本持つことである。ということが本日の講演イベント「シルバー・カラーの復元」から分かった。だが実は、市川崑が『おとうと』(1960年)と『幸福』(1981年)で採用した「銀残し」はまったく別の技術だったことも理解できた。東京現像所で処理された『おとうと』はスキップブリーチ法といって、2回の定着作業の間に行われる漂白工程を省略することで銀を残し、暗部を締める効果を持つものだが作業としてはそれほど面倒ではない。だが『幸福』で東洋現像所(現IMAGICA)が挑んだシルバーカラー法は、カラー現像の上にそのまま白黒現像の作業を重ね、それから定着作業をするという極めつけの特殊な技術である。つまり、カラー現像機から白黒現像機へフィルムを送る滑車装置をこしらえねばならず、現像機一つだけであれば外の光が入らぬようにマシンの密閉もできるのだが、これだと現像場全体を暗闇にして立入禁止にしなければならない。というわけで、今どきそんなに負担のかかる作業を再現してくれたIMAGICAウェストの努力には頭が下がる。それにしてもフィルムの現像プロセスの講演会にこれだけ多くの方々が集まられるとは素敵なことだ。
夕方、久々のエルメス上映会へ(2003年1月28日と同年7月5日と2004年8月7日の日記ご参照)。この秋はなぜかツール・ド・フランス関連ドキュメンタリーを特集していて、今日は2003年の100周年記念大会を撮った『マイヨ・ジョーヌへの挑戦』(ペペ・ダンカート)。ドイツの作品なので、エリック・ツァベルほかドイツテレコムの選手をメインに取材している。マッサージとか痛そうな生傷の手当てとか、各日のレース後の時間に照準を当てているのも悪くないし、現場にいると、裏方も含めてレース全体の風景をつかまえたくなるのだろう。ツールを撮る際の規範的なスタイルかと思う。チームカーの無線での言語の使い方が面白く、ドイツテレコムの場合大半はドイツ語で済むが、カザフスタン人のアレクサンドル・ヴィノクロフだけはフランス語、ただし「行け行けー」だけは「ダワイダワイ!」とロシア語になっていた。この年のベロキとウルリッヒは本当に可哀相。周知の通り、落車しなかったアメリカ人が勝った。
2009/10/23
遅番なので、出勤前に知人の若手写真家山中慎太郎さんの個展@お茶の水へ。風景の写真なのだが「風景写真」ではない。フレームで切り取られた瞬間から「風景」としての生命を持ち始めるような、恣意性と必然性のきわどいせめぎ合いが感じられる。
完成直前の文章を直していたら、某出版社に勤めるA姐から突然の電話。「ねーオカダくんさ、こないだ日仏学院のギー・ドゥボールが若い人ですごい満員だったっていうじゃない? あたし今さ、シチュアシオニスト関連で***・******の本を出したいんだけど、やっぱシチュアシオニストぐっと盛り上がってんのかしらー?」。「んー、そういう人もいるとは思うけど、やっぱ映画作家ドゥボールの作品が観たいって関心の方が強いんじゃないの」。「そうかー、ちょいと残念ねえ。でもね、ここ数日『スペクタクルの社会』が書店で急に売れ始めてるんだって」。えー、まじっすか、と驚きつつ、いけいけ、便乗恥じるべからず、といい加減にアドバイスをして通話を終えた。
藤井浩明さんのギャラリートーク。平日なのに席が足りないぐらいになる。監督田中絹代の現場は比較的スムーズだったそうだが、何か腹立たしいことがあった時はスタッフルームに駆け込んでひとり怒りを噛み締めていた(藤井さんは偶然それを目撃した)というエピソードに心中が熱くなる。『大地の子守歌』での、増村監督のあまりに大胆なので採用されなかった演出案にも苦笑したけれど、ここでは割愛。
2009/10/22
昨年から古書の探索に力を入れるようにしたら、いろんな古書店からカタログが届くようになった。とはいえ公的な機関であるから、しっかりとリストを吟味してから購入品を決めることにしている。とすれば、その間に他の方に買われてしまう可能性もあるのだが、最近は結構残っている気がする。収集担当としてはとりあえず嬉しいが、やはり映画本は売れなくなったのかと考えると心配にもなる。
明日は、大映東京の名プロデューサー藤井浩明さんによるギャラリートーク。とりあえずのテーマは『流転の王妃』と市川崑の『おとうと』だが、絹代の遺作となった増村保造作品『大地の子守歌』のお話にも必ずなるはずで、これは聞き逃せないでしょう。僕も聞き手を務めるのが楽しみでなりません。
2009/10/21
今週は遅番なので、東京国際映画祭はもともとなかったようなもの。と思うしかないのだが、まあ今さら騒ぐでもなく、朝いちばんで恒例の季節性インフルエンザ予防接種。だがBSの国際ニュースで、フランスの医師の半数以上が、まだ研究不足と思しき新型インフルエンザの予防接種は受けないと表明していると知って、新型の方はこれからぐずぐず二の足を踏もうと思う。
午後、ある映画祭の事務局へ伺ってご寄贈資料の引き取り。お忙しい時期なのに丁寧に対応していただく。
2009/10/20
先週、ツール・ド・フランス2010のコースが発表された。スタート地点がロッテルダムとだけは前から発表されていたが、ダテに北を走らせてるわけじゃなく、なんと第3ステージでは「パリ〜ルーベ」で悪名高いアランベールのごつごつ石畳が登場。強豪がばんばん落車しそう。中盤のアルプスはともかく、終盤にピレネー祭りとはいかにもサービス満点なコースだこと。第17ステージではトゥルマレ峠の山頂ゴールまでご用意いただいて、これはやはりコンタドール有利か? 少なくともカヴェンディッシュは今年のようには威張れないはずだ。シュレック弟とサストレにも有利かと。ちなみに誰もが注目せざるを得ない第19ステージの個人タイムトライアルは「ボルドー発ポーイヤック着」。これ、フランス政府によるワインの販促活動だろ、絶対。
しかもさらに、先週盗難にあってしまったボロ自転車の代替として、ビアンキのシティサイクルを購入。色はもちろんチェレステ(ミラノの空)だ。ファウスト・コッピに敬礼。
2009/10/19
1990年代からの仕事には関心がなかったけれど、僕が高校生だった頃の加藤和彦の曲には、身体に「ポップス」のエッセンスを内蔵しているかのような凄みがあった。フォークルほどには語られないだろうけれど、そのことは多分忘れないだろうと思う。
今学期の講義は「映画文化の伝達」についてだが、今朝の朝日新聞を見たら立命館大学の川村健一郎先生のゼミが紹介されていた。あまりのタイミングの良さに、コピーしてさっそく学生に配った。今日は世界シネマテーク史のさわりを話してみる。京橋の映画美学校に移動して、試写でジャック・ロジエ特集『オルエットの方へ』(1970年)。来年1月に公開だそうだが、今どきロジエをまとめて観られるなんて奇跡みたいだ。真夏ではなく、「寒いわ」と言いながら始まる女三人の9月のヴァカンス。海辺の別荘を舞台に、ケーキを食べては笑い、地名がおかしいと言っては笑う。そして、偶然を装ってパリからダメ男(三人のひとりの上司だったりする)が追っかけてくると、三人はそいつを使いっ走りにしてからかう。でも、男がうんざりして去ってしまうと、それはそれで寂しかったり。そんなやり取りだけで2時間41分はあっけなく過ぎてゆき、もっと観ていたかったという気持ちだけが残る。『アデュー・フィリピーヌ』から10年、ジャン・ルノワールの最後の残響を感じさせつつ、映画とは海辺と男の子と女の子と夏の終わりなんだという姿勢がより純化されていることに痛覚にも似た感動が。フランスではうなぎをどう料理するのかが気になったので、部屋に帰ってネットで調べてしまった。ワインで煮るのですね。
2009/10/18
岩波映画シンポジウム「たのしい科学〜岩波映画の理科教室〜」に参加。200人以上の方が申し込まれたそうで、科学映画というテーマで会場が満席になるという事実にまず感嘆した。全体が上映・対談・公開授業・パネルという45分ごとの「4時間授業」に構成されていて、学校の授業を模してチャイムが鳴るのも素晴らしい。まず、岩波映画の科学部門を統括されていた牧衷さんの言葉にはただ魅入られた。それまでの教育で使われていたスタティックな自然観を覆すことを目指したというその製作姿勢は、多量の予算をかけてでも視覚に訴える独自の実験装置を開発したことなど、実際に映画のあちこちで感じることができた。『もんしろちょう』では予算が絶望的に超過したため辞表まで用意したが、逆に励まされたという実に岩波らしいエピソードも。そして、長谷川智子・櫻井順子の両先生による科学映画(本日は1967年の『力のおよぼしあい』)を活用した理科の授業では、DVDの普及した今こそ容易になった「一時停止」の機能を駆使して、生徒たちが真に考えるための授業が実現していた。これが全国の中学校で行われていたら、と夢想する。佐倉統先生のコーディネートによるパネルでは、今後の科学映画の活用に関する基本的態度、そして締めくくりには作品としての科学映画の魅惑について発言させてもらった。CGではなく実際に物体が動くことに人間の眼が惹かれるのは現代の「ピタゴラ装置」の高評価とも無縁ではないと言ったら、終了後、佐藤雅彦さんから声をかけられた。もちろん初対面。まさかご来場だったとは。そして本郷三丁目の居酒屋で打ち上げ。牧さんに、1950年代の学生運動の情況についていろいろ質問してしまう。日本におけるルイセンコ学説など、政治と切り離せなかった当時の科学思想の一端も垣間見ることができた。
2009/10/17
『浅草の灯』(1937年)のポスターを貸し出している上野の下町風俗資料館へ行く。浅草オペラと田谷力三についての展覧会。浅草オペラって、大震災のせいでたった6年間しか存在しなかったのか。小ぶりな資料がたくさん並ぶ中、『浅草の灯』は戦前期には珍しい派手な色使いのポスターで大いに目立っている。よしよし。夜はジロ・デ・ロンバルディアをちょっと観戦。
明日は、東京大学福武ホールで岩波映画シンポジウムです。自分の持ち場については気を引き締めて臨みますが、何よりも科学映画を使った公開授業が楽しみでなりません。
2009/10/16
江戸東京博物館で行われた資料保存シンポジウムに顔を出す。とはいってもお目当ては資料保存関連の企業が十数社も集まった展示ルームである。酸性紙の脱酸処理とか、写真のガラス乾板の保存容器とか、ノンフィルムの保存に切実な品々が並ぶ。脱酸処理って、長い目では絶対必要な作業なんだけど、まだまだお値段が高いんだなあと嘆息。
2009/10/15
洞口依子映画祭のゲストにやくしまるえつこさんとはやるねえ。はともかく、五反田のイマジカで往年の機材を見せていただく。とてもかっこいいが、機械系のノンフィルムにはかなり弱いのである。京橋へ出勤し、新たな資料整理プロジェクトを始めるが、一日が終わってみれば仕事のこと以上に研究のことを深く考えた珍しい日かも。もう一つ珍しいのは、我らが世代において松任谷由実とはどういう存在なのか、をつらつらと考えていた。いろいろ言う人はいるけれど、何か否定しづらいものがあるんだな。ある時代のニホンの、土着でも都会でもない地方にぴったりなじむあのサウンドスケープは。
2009/10/14
今回のロバート&フランシス・フラハティ賞は『アラン』(ロバート・フラハティ監督、1934年)に決定!!…などと書いているブログも散見されるが、結局、山形の各賞は僕が観ていない映画に決まった。ふむふむと思いつつ、そろそろフランス映画ポスター展のカタログ作りに本腰を入れる。帰宅して論文のための資料読み。明日はまずイマジカへ行くので、玄関の靴に「今朝はIMAGICA! 京橋に行ってはだめ」というメモを押し込んでおく。手帳を使わない人間にはこれがいちばん確実。
2009/10/13
まだ映画祭ボケと疲労の残りを感じないでもないが、表面上はぴりっと仕事に復帰。宇都宮美術館の学芸員の方の助けを得て、フランス映画ポスターの印刷技法の鑑定作業。絵の部分はリトグラフ、文字の部分は活版印刷なんてのもあって勉強になる。現物をめくりながら、フランスはポスター作家たちの抵抗によってオフセットの導入が遅かった国であることが分かってくる。確かに『田舎司祭の日記』の傑作ポスターを見ていると、リトグラフ以外で制作するポール・コランなんて想像もできない。
2009/10/12
9回目の訪問となる山形国際ドキュメンタリー映画祭へ。まずは10日。『アポロノフカ桟橋』(アンドレイ・シュワルツ)は感じのいい一本。黒海に面したウクライナの軍港セヴァストポリのひと夏を、桟橋から海に飛び込んで遊ぶ少年たち、海底から鉄屑を引き揚げる無許可のサルベージ業者、水浴びやひなたぼっこをして過ごす老人たち、歌と踊りをレッスン中の三人組の少女などを通じて描き出す一種のスケッチ集だ。しかし「絵」を集積して終わるのではなく、街の空気がほんのりとスクリーンに漂っているのが心地よい。もっとも、信じ難いほどの量の鉄屑が海底に沈んでいるらしい、と軍港ならではのエピソードで土地の重い歴史が暗示されてもいるが。とりあえずいい滑り出しかな。夕方はギー・ドゥボール特集へ。遠からず東京日仏学院でも上映されるが、東京にいるとつい仕事にかまけてサボってしまうからこういう機会にがっしり観ておくのが正解かと。さて『サドのための絶叫』(1952年)は聞きしに勝る挑発の映画。真っ白な画面の時は、何らかのテクストが朗読されている。彼らのマニフェストとか、法律の条文(内容は怪しい)とか、新聞記事とかが、脈絡なしに聞こえてくる。だが突然、真っ黒な画面が現れて沈黙の時間に入ってしまう。要するにこれの繰り返しで、いつ白くなるか、いつ黒くなるかは分からない。そのうち、何分も黒画面のままだと、会場全体が息を呑んで白画面をじっと待つようになる。そして白くなった瞬間、全員が一体となったような安堵のため息が聞こえてくる。そのくせ、聞こえてくるテクストは依然恣意的なもので、まったく食えねえやつだと苦笑。暗闇が長時間にわたってくると、会場の気分もざわついてくる。ある時、携帯電話に出たと思しい観客のひとりが「いまギー・ドゥボール観てるんだよー」などと大声で話し始めた。それに対して「出て行け!」と叫ぶ観客も現れる。シチュアシオニスト研究の木下誠先生によれば、フランスでの初上映では客が暴動を起こして上映中止になったというから、これはある程度歓迎すべき事態かも知れないが、暴動とはほど遠いなごんだ雰囲気さえ形成されつつあり、果たしてこれで良かったのかどうか(ドゥボールは携帯電話の登場なんて想像もしなかったろうし)。自分なりの結論としては、「映画を観る」という行為のコンテクストをむき出しにする、稀有な面白みのある映画だと思っている。
だがそれでも今回の上映に不満があるとすれば、ドゥボール特集の中でこの作品だけビデオ上映だったことだ。ネガの劣化のためにフランス側がフィルムを提供できないそうで、映画祭に落ち度はないが、この映画には他のどの映画以上にフィルム上映でないことに抗議する理由がある。まず、観衆に闇をずっと凝視するよう強制する映画である以上、できる限り本物の闇に近い画面を提示しなければならない。フィルムでさえ本物の黒は出ないのに、ビデオ投影の白茶けた「闇」など到底認められない。そして、こういう映画こそフィルムを運び、映写機にかけるという、映画の本来の儀式性を完遂しなければならない。「どうせ白と黒だけだからこれでいいでしょ」と提供をサボったかのように見なされかねない。ま、こうやって日本語で書いても読めないだろうが、ドゥボール氏の関係者には猛省を促したい。続いて『かなり短い時間単位内での何人かの人物の通過について』。この短篇は彼らの一種の闘争報告だが、むしろ青春映画として観るのが正しいような気がする。デンマークの広告映画らしい断片が使われているが、この少女はゴダール映画で有名になる前のアンナ・カリーナ! 感動した。というわけで今日のドゥボールは2本ともお茶目だった。若いうちは何でもやるよね、という爽やかさがあった。
映画がはねて、明日の下見も兼ねて香味庵に行く。無数の方にお会いしたのでここに書くことはどだい無理だが(あっと言う間に名刺が切れた)、学生がいっぱいいたことに驚く。聞いてみると、今年は学生さんを引っぱってきた大学がかなりあるらしい。立命館や京都造形芸術大といった関西の学生もいるし、多摩美などは1年生の必修にして貸し切りバスまで仕立てているという。前回までは「山形の優等生といえばMG大学」だったが、少々影が薄くなってしまった。かなり酩酊してから、さらに映画研究者グループで居酒屋へ流れ、4時半まで呑んでしまう。
従って、11日は午前中をふいにしてしまう。あかんなあ。二日酔い解消を期して、MG大学の学生・卒業生たちとそばを食べる。午後、土本基子さんにお会いしたのでご一緒にハルトムート・ビトムスキーの『ダスト 塵』。塵という現象について様々な角度から検証しており、個別の映像には惹かれるもののやや羅列的な印象。不完全燃焼というか、着地点が曖昧なまま終わったようだ。そしてまたドゥボール特集で『分離の批判』と『スペクタクルの社会』。なんと満席である。これを観なきゃ始まらんだろうと期待した『スペクタクルの社会』は、画像の羅列とテクスト朗読という文体は揺るぎないものとなったが、昨日の2作品に比べて、主張は明確になったものの「お茶目度」は低下している(そんなもの求められても困るだろうけど)。それにしてもドゥボール氏、女性の裸の胸が好き過ぎないか? スペクタクル批判のためにはヌード写真の引用も必要だろうが、その必要以上におっぱいに拘泥していないか? 謎である。
さてさて、ようやく今回のメインイベントたる「自主講座 山猫争議! 土本典昭の海へ」の出番となった。ご来場いただいた方、本当にありがとうございました。そしてご来場いただいたのに入場制限に阻まれた方、本当に申し訳ありませんでした。あの内容を要約することは不可能だが、山根さんの感動的な一喝も含めて実に熱のある場になった。たった2時間で土本監督の豊かな映画世界を語り尽くせるはずはなく、争議は継続されるべきだが、思えばこの7名の方々が東京で集まれる機会など二度と作れないだろう。まさに山形にしかできない奇跡だったように思える。7名の方のほかに、現場でいちばん大変だったのは記録撮影の加藤孝信キャメラマンだったように思う。お疲れ様でした。終わってから、この冬にパリで知り合った評論家のフィリップ・アズーリさんに再会できて嬉しかった。
12日は朝から「ナトコのじかん」。四谷保健所の係員が、まるで探偵映画のように食中毒の原因を追い求める『病菌はどこにあるか』(1952年)もにんまりしたが、まるでウェスタンのように北海道の開拓事業を描こうとした『大地の子』(1958年)には激しく苦笑した。続いて「シマ/島」特集で『島影』(丸谷肇)など。屋久島にやって来て、本土から移住してきた気ままな画家宅に居候している監督の、ちょっぴりセンチメンタルな旅日記。出てくる地元の子どもたちの立ち振るまいが素晴らしい。自転車の好きな小さな女の子は、明らかに監督が大好きなんだろう。中央会場に移動して『RiP! リミックス宣言』(ブレット・ゲイラー)。企業への優遇にしかなっていない現在の著作権保護のあり方に異議を唱える、という主張はよく理解できる。著作権侵害にもいろいろな楽しみ方(?)がある、それも分かった。だがこの映画は、表面的に「尖った」表現を志向していても、ドキュメンタリーという形式に対して問いを持ったことのない人の映画である。思想としてはマイケル・ムーア程度、あるいはそれ以下。そして自動車社会への反対運動の記録『オート*メート』(マルチン・マレチェク)は、今度は単に表現の鈍さばかりが目立つ一本だった。うーん。今年はコンペティションの下馬評があまり聞こえてこず、選考も難航するのではないか。発表はあさってです。
2009/10/09
では、明朝より山形入りします。朝がナトコ映画で夜がギー・ドゥボールだなんて規則正しい生活が送れそうですね…。
2009/10/08
ついに、岩波書店からシリーズ「日本のドキュメンタリー」の刊行が始まった。書籍5巻とDVDボックスの組み合わせで、これで『ドキュメント 路上』もついに正式にソフト化されるわけだ。と思っていたら邑書林からもお手紙が。俳句界でも、噂の若手アンソロジー「新撰21」がついに刊行される運びだという。思えば1980年代から90年代初頭には新鋭俳句作家のアンソロジーがいくつか出ており、いまや俳句濃度ゼロの僕でさえ、1993年の新人作家集に呼ばれた《「俳句空間」世代》の末席だったわけである。だが、あれを最後としてその種の本がまるで出ておらず、確かに寂しくはあった。それから15年、インターネット句会もこなす新世代の登場をもってようやくアンソロジーが出るとは嬉しい話だ。年末には盛大なパーティまでやると言うから参加しようと思う。俳句も再開しようか、やっぱり。
2009/10/06
通勤列車で、そういえば昨日はバルト9にアラーキーがいたなあ、と思い出す。執筆を頑張っていると、先週下見に参上したある記録映画監督のお宅より大量の寄贈資料が届く。ああ、これいつ整理できるんだろう。それでも午後、未整理資料を仮置きしている部屋をちょっと掃除したら結構片付いて広く見えた。夜、山猫争議のチラシ(じゃなくてビラですね)が完成したと聞いたので山猫線に乗って山猫町まで取りに行き、もう一人の山猫くんに会って山猫争議を成功に導くための山猫集会を開いた。
2009/10/05
雨天。今日の講義はわりと調子よろし。講義はライブだと改めて気づく。終了後に学生が来て、山形映画祭のデイリー・ニュース班に志願しました、と報告してくれたことも大変よろし。
『リミッツ・オブ・コントロール』。画面の作り手としてのジャームッシュに弛みはないので、多少長いけれども最後まで飽きることはない。冒頭のドゴール空港、マドリードの美術館うろうろ、セビリヤの生意気な子ども、などなど個々のシーンは冴えている。いつものコーヒーカップ俯瞰もクリストファー・ドイルがやるとちょっと印象が変わるねえ、といった発見もあり。だが、標的も知らされないままスペインを彷徨う黒人の殺し屋とか、次から次へと現れる面妖な人たちとの遭遇とか、表現以前に設定の水準で「やりたいこと」が古めかしいように思う。良くいえば反時代的ともいえるが。
それにしても、あの上映前のアニメはどうにかならないのか。ボロボロの劇場の館主が不安がるお客に自館の貧弱なサービス(すべてダジャレ)を説明するが、すればするほどバルト9の優れたサービスが際立つという変に凝ったシナリオ。サービスが貧しかろうが館内が汚かろうが、いくら架空の劇場であっても、同業の人間をそんなにコケにしていいものだろうか。
2009/10/03
夕方、ユーロスペースに着いてびっくり。ロビーでキューバの映画ポスターの即売会をやっている! シルクスクリーンの本物なんてニホンじゃまず入手は不可能であり、奇跡的なイベントというよりない。で、『ある官僚の死』上映後の18時より太田さんとトーク。かなり満席に近くてうれしい。1960年代のトマス・グティエレス・アレア作品と『ルシア』を中心に対談したが、『ある官僚の死』の背後にあるグティエレス・アレアの映画史的素養の深さについて指摘。そして、太田さんから当時のキューバ映画が置かれた環境について解説を受けるが、小国なのに世界から期待され過ぎたキューバ、という視点にとても納得がいった。最後にキューバのポスターの魅力について語らせてもらったら、終了後多くの方が即売会場に駆け寄られたので、読めないスペイン語を無理に読んで商品の説明をするはめに。これらを輸入されたのは葉巻の輸入会社の方で、ポスターはハバナのICAICを訪問した際に商品知識なしにどっさり買い付けたとのこと。でも、キューバ映画ポスター最大の人気作『はじめて映画を見た日』が真っ先に買われてしまうあたり、ニホンにもよくお分かりの方がいるのだと納得。なお僕は、カワレロヴィッチ『尼僧ヨアンナ』のキューバ版ポスターを衝動買い。ふふふ。
主催者の比嘉さん、太田さんと近所で打ち上げ。ラテンアメリカ映画の最新情報をぎゅんぎゅん吸い込んでリフレッシュ。未知の映画に向かって歩むことが、どれほど快い体験であるか久々に実感した次第。今日まで知らなかったのだが、今のキューバには『ルシア』の監督の名を冠した「ウンベルト・ソラス国際低予算映画祭」というのがあるそうだ。比嘉さんは「低予算」と訳されたが、スペイン語では「Festival Internacional del Cine Pobre de Humberto Solás」。貧しい映画(!)の祭典と書くと身も蓋もないが、規約には芸術的価値が貧しいのではなく予算の小ささを指すだけである、とわざわざ書いてある。ニホンからもどんどん出品すればいいのでは。
2009/10/02
にゃー。と山猫は鳴くのだろうか。疑問だ。それはともかく、明日夕刻のユーロスペースでは『ある官僚の死』の上映後に太田昌国さんと僕のトークが粛々と執り行われます。どうぞご来場くださいませませ。
2009/10/01
今のうちに物事をずんずん進めたる!と気分は焦れど執筆も事務もはかどらず。嗚呼そんな10月。だが、だが、この10月はヤマネコが鳴く月でもある。山形国際ドキュメンタリー映画祭非公認企画、自主講座「山猫争議! 土本典昭の海へ」の開催を告知します! 「シンポジウム」にあらずあくまで「自主講座」。香味庵の奥は広くはありませんので窮屈かも知れませんが、企画者の一人としてご参加をお待ちしております。あと当日ボランティアもちょっぴり募ります。山形の夜に幻視の「党」を組織しましょう。にゃー。
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